顧問の税理士から「先生、所得が1,800万円を超えたので、そろそろ法人化を考えましょう」と言われた。
それで「歯科医院 法人化 タイミング」と検索していないでしょうか。
検索して、気づいたはずです。
どのページを開いても、同じ数字が並んでいることに。
所得1,800万円。社会保険診療報酬5,000万円。年間収入7,000万円。
それぞれに根拠はあります。ただ、その根拠を説明した上で「あなたの医院はどうか」まで踏み込んだ記事は、ほとんどありません。
結論から書きます。「所得1,800万円」は、法人化の答えではなく、試算を始める合図です。法人化で本当に変わるのは税率だけではなく、社会保険料・退職金・赤字の扱い・承継・分院・交際費まで含めた7つの数字で、しかも試算の差額のうち、院長の手元に今年入る金額は、思っているよりずっと少ない。ここを知らずに法人化した院長を、私は何人も見てきました。
申し遅れました。私は大阪で税理士事務所を営む稲田光浩です。税理士業界19年。社会医療法人の監事、東京プロマーケット上場準備中の企業の監査役を務め、複数社の経営会議・取締役会に外部の立場で参加しています。医療法人を「設立する側」の相談にも、「設立したあと監事として中を見る側」の席にも座っている人間です。
この記事は、所得の目安を並べ直すためのものではありません。
2026年の税制で、所得1,200万・1,800万・2,500万の3パターンを個人と医療法人で試算し、差額の正体まで分解します。その上で「何のために法人化するのか」と「法人化してはいけない医院」を、正直に書きます。
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1. 「所得1,800万円」という目安は、何を根拠にしているのか?
結論から書きます。「1,800万円」は所得税の税率が33%から40%に上がる境目で、「5,000万円」と「7,000万円」は概算経費の特例が使えなくなる境目です。どちらも制度上の根拠はあります。ただし、どちらも「法人化したほうが得になる点」を示した数字ではありません。
順に分解します。
1,800万円=所得税率が40%に上がる境目
所得税は課税所得が大きくなるほど税率が上がります。課税所得900万円超〜1,800万円以下は33%、1,800万円超〜4,000万円以下は40%です(いずれも復興特別所得税を除く)。これに住民税10%が乗るので、課税所得1,800万円を超えた部分には、合わせて約50%の税率がかかります。
一方、医療法人の法人税率は、年800万円以下の所得部分が15%、800万円超の部分が23.2%。地方税を含めた実効税率でも、おおむね25〜34%の範囲に収まります。
だから「1,800万円を超えたら、超えた部分を法人に残したほうが税率が低い」という理屈です。
この理屈自体は、正しい。
ただ、ここに落とし穴があります。
税率が低いのは「法人に残した部分」であって、院長が受け取る部分ではない。法人に残した利益は、役員報酬や退職金として取り出すときに、もう一度、院長個人の所得として課税されます。つまり税率の差は「節税」ではなく「課税の繰り延べと分散」です。この違いは、後の試算で数字として見えてきます。
5,000万円・7,000万円=概算経費の特例が使えなくなる境目
社会保険診療報酬が年5,000万円以下、かつ医業収入全体が年7,000万円以下の医院は、実際の経費ではなく「概算経費率」で所得を計算できる特例があります(租税特別措置法第26条)。社会保険診療報酬2,500万円以下なら72%、3,000万円超〜4,000万円以下なら62%+290万円、という段階式です。
この特例を使うと、実際の経費率が低い医院ほど所得が圧縮され、税金が減ります。そして、収入がこの線を超えると特例が使えなくなり、実額計算に戻る。そのタイミングで「どうせ特例が切れるなら法人化を」と勧められる、というのが5,000万・7,000万の根拠です。
ここで正直に書いておきます。
この特例は、医療法人になっても一定の要件で使えます(租税特別措置法第67条)。だから「特例が切れるから法人化」は、論理としては少しズレています。特例が切れる規模になった医院は、法人でも個人でも実額計算になる。法人化の是非は、そのあとの7つの数字で決まります。
私が面談で一番多く受ける質問は、「1,800万円を超えたら法人化すべきですか」ではありません。
「顧問から法人化を勧められたが、なぜ今なのか数字で説明してもらえていない」という相談です。目安は合図であって、答えではない。ここから先は、あなたの医院の数字の話になります。
2. 法人化で変わる「7つの数字」とは何か?
結論から書きます。歯科医院の法人化で変わるのは、税率・社会保険料・退職金・赤字の扱い・承継・分院・交際費の7つです。このうち税率だけを見て判断すると、社会保険料で足をすくわれ、承継で後悔します。
7つを、有利に働くものと不利に働くものを混ぜて書きます。きれいに「メリット7つ」にはなりません。
① 税率——分散すれば下がる。ただし「取り出すとき」にもう一度かかる
医院の利益を「院長の役員報酬」と「法人の所得」に分けることで、それぞれに低い税率帯を使えます。これが法人化の最大の数字です。ただし法人に残した所得は、将来取り出すときに再び課税されます。役員報酬で取り出せば給与所得、退職金で取り出せば退職所得。退職所得は税負担がかなり軽いので、「法人に残して、退職金で出す」が設計の基本形になります。
② 社会保険料——厚生年金が強制加入になり、年100万円超の負担増が普通
医療法人は、スタッフの人数にかかわらず厚生年金の強制適用事業所になります。個人の歯科医院が従業員5人未満なら任意だったものが、法人化した瞬間に院長もスタッフも厚生年金に入ります。
院長本人について言えば、国民年金の年間保険料は約21.5万円(令和8年度、月額17,920円)。厚生年金は報酬に応じて変わり、標準報酬月額の上限65万円に達している場合、法人負担と本人負担を合わせて年約143万円です。差額は年120万円を超えます。
ここは競合の記事が一番ぼかすところなので、はっきり書きます。この120万円は、試算の「税金の差」とほぼ同じ規模で効いてきます。将来の年金受給額が増えるという裏面はありますが、今年のキャッシュで見れば純粋な負担増です。
なお、健康保険については、歯科医師国民健康保険組合に加入している医院は、法人化後も一定の手続きで歯科医師国保を継続できる場合があります。この記事の試算では、個人・法人とも歯科医師国保を継続する前提で、健康保険料を比較から外しています。
③ 退職金——個人には「院長の退職金」という概念がない
個人事業の院長は、自分に退職金を払えません。代わりに小規模企業共済(常時使用する従業員が5人以下なら加入でき、掛金が全額所得控除)が使えますが、医療法人の役員は加入対象外のため、法人化すると新規の積み立てはできなくなります。
その代わり、医療法人は理事長に役員退職金を支給でき、適正額の範囲で損金になります。退職所得は「(収入-退職所得控除)÷2」に税率がかかる計算なので、同じ金額を報酬で受け取るより税負担が大きく軽くなります。①で法人に残した所得を、ここで取り出す。これが法人化のキャッシュ設計の出口です。出口を設計せずに法人化すると、法人の中にお金が貯まるだけで終わります。
④ 赤字の扱い——繰越期間が3年から10年に伸びる
青色申告の個人事業主は、赤字を翌年以降3年間しか繰り越せません。法人は10年間です。分院を出す年、ユニットを一気に増やす年、大型の設備投資で一時的に赤字になる年。そのマイナスを10年かけて黒字と相殺できるかどうかは、投資のタイミングを考える院長にとって小さくない差です。
⑤ 承継——「持分なし医療法人」の構造を知らずに法人化してはいけない
ここが、この記事で一番読んでほしい数字です。
現在、新たに設立できる医療法人は「持分なし」だけです。厚生労働省の手引書には、平成18年の医療法改正により非営利性の徹底と地域医療の安定性の確保のため、持分あり医療法人の新規設立は認められなくなった旨が書かれています(出典:厚生労働省医政局医療経営支援課「『持分なし医療法人』への移行に関する手引書」令和8年3月改訂)。
持分なし、とはどういうことか。
医院の利益を法人に貯めても、その貯まったお金は院長のものではない、ということです。配当はできません。解散しても残余財産は出資者に戻らず、国や地方公共団体、他の医療法人などに帰属します。
承継の場面では、これは有利にも不利にも働きます。
有利な面。持分がないので、相続のときに医療法人の「株価」に相当する財産評価が発生しません。持分あり医療法人(平成19年3月以前設立)が抱える「持分の評価額が何億円にもなって相続税が払えない」「退社する出資者から払戻しを請求される」という問題が、最初から存在しない。国税庁も、持分あり法人の相続については納税猶予の特例を設けて移行を促しているほどです(出典:国税庁タックスアンサーNo.4150)。後継者である子が理事長を引き継げば、法人は承継されます。
不利な面。貯まった財産を家族に残す手段が、役員報酬と退職金しかない。承継せず、医院を閉じることになったとき、法人に残った財産は院長の家族には戻りません。「最後は自分のものになる」と思って貯めていた院長が、閉院の相談で初めてこの構造を知る。私は監事の立場で医療法人の中を見ているので、この誤解がどれほど根深いかを知っています。
⑥ 分院——個人では出せない。法人化は「分院の前提条件」
個人の歯科医師が管理者になれる診療所は1か所です。分院を出すには医療法人が必要になります。分院展開を考えている院長にとって、法人化は節税の問題ではなく、事業展開の前提条件です。分院の資金調達や1院目との銀行の見方の違いについては、別の記事(歯科医院の分院展開、資金調達はどう組むか)で詳しく書いています。
⑦ 交際費——法人は年800万円まで損金。ただし使い方は変わらない
個人事業の交際費は、事業に必要なものなら上限なく経費です。法人になると、資本金1億円以下の法人は年800万円まで(または飲食費の50%まで)という枠がかかります。歯科医院で年800万円を超える交際費はまずないので、実務上の影響は小さい。ただし、法人では「誰と・何のために」の記録がより厳しく見られます。数字より、運用の規律が変わる項目です。
7つを並べると、見えてくることがあります。
税率と赤字と分院は、法人が有利。
社会保険料は、法人が不利。
退職金と承継は、設計次第でどちらにも転ぶ。
「所得1,800万円」という1つの数字では、この7つのどれも判定できません。だから試算が要る。次の章で、実際の数字を置きます。
3. 所得1,200万・1,800万・2,500万で、個人と医療法人はいくら違うのか?
結論から書きます。2026年税制のモデル計算では、所得1,200万円は法人化で年7万円のマイナス、1,800万円で年113万円のプラス、2,500万円で年263万円のプラスです。ただし、このプラスには「法人の中に残って院長の手元には入らないお金」が含まれています。その分解は次の章でやります。まずは全体の数字から。
試算の前提(ここを飛ばすと数字の意味が変わります)
モデル計算なので、前提を明記します。実在の医院の数字ではありません。
- 院長単身(配偶者控除・扶養控除なし)、他の所得なし
- 「所得」=青色申告特別控除前の医院の利益。個人は青色申告特別控除65万円を適用
- 自由診療の割合を収入の20%と仮定(個人事業税・法人事業税は社会保険診療分が非課税のため)
- 概算経費の特例(租税特別措置法第26条・第67条)は使わない実額計算
- 年金保険料:個人=国民年金(月17,920円・令和8年度)。法人=厚生年金(標準報酬月額上限65万円・保険料率18.3%を法人と本人で折半)+子ども・子育て拠出金。賞与なし
- 健康保険:個人・法人とも歯科医師国保を継続する前提で比較から除外
- 役員報酬:1,200万円の医院で960万円、1,800万円で1,200万円、2,500万円で1,500万円に設定(1,800万円以上は、報酬を所得税率33%の帯に収める設計)
- 法人税率:所得800万円以下15%・超過分23.2%。地方法人税10.3%。法人住民税は標準税率+均等割7万円。法人事業税は医療法人(特別法人)の税率で自由診療分のみ課税。特別法人事業税を含む
- 2026年4月以後開始事業年度から導入された防衛特別法人税は、法人税額から年500万円を控除した残額に課されるため、この規模の医院では発生しない
- 所得税の基礎控除は2025年改正後の58万円(合計所得2,350万円以下)、住民税の基礎控除は43万円(合計所得2,400万円超は逓減)。給与所得控除は上限195万円
- 設立費用・税理士報酬の増加分・登記費用などの一時コストは含めない
3パターンの比較表
単位は万円。「可処分合計」は、個人なら手取り、法人なら理事長の手取りと法人に残る利益(税引後)の合計です。
| 医院の利益 | 1,200万円 | 1,800万円 | 2,500万円 |
|---|---|---|---|
| 【個人事業】 | |||
| 所得税(復興税込) | 198.8 | 400.9 | 687.1 |
| 住民税 | 107.5 | 167.5 | 238.9 |
| 個人事業税(自由診療分) | 0.0 | 3.5 | 10.5 |
| 税負担 合計 | 306.3 | 572.0 | 936.5 |
| 国民年金 | 21.5 | 21.5 | 21.5 |
| 院長の手取り | 872.2 | 1,206.5 | 1,542.0 |
| 【医療法人】 | |||
| 理事長の役員報酬 | 960.0 | 1,200.0 | 1,500.0 |
| 理事長の所得税+住民税 | 151.7 | 230.3 | 358.9 |
| 厚生年金(本人負担分) | 71.4 | 71.4 | 71.4 |
| 理事長の手取り | 736.9 | 898.4 | 1,069.8 |
| 法人の所得(報酬・法人負担保険料控除後) | 165.8 | 525.8 | 925.8 |
| 法人税等 合計 | 37.7 | 104.5 | 190.7 |
| 法人に残る利益(税引後) | 128.1 | 421.4 | 735.1 |
| 世帯+法人の税負担 合計 | 189.4 | 334.7 | 549.5 |
| 年金保険料 合計(法人+本人) | 145.5 | 145.5 | 145.5 |
| 【差額】 | |||
| 税負担の差(個人-法人) | +116.9 | +237.3 | +387.0 |
| 年金保険料の差(法人-個人) | -124.0 | -124.0 | -124.0 |
| 可処分合計の差(法人-個人) | -7.2 | +113.2 | +262.9 |
※2026年8月時点の税率・控除額・保険料率に基づくモデル計算。端数処理により合計が一致しない箇所があります。実際の有利不利は、家族構成・自費率・スタッフ数・健康保険の加入状況・設立コスト・借入の有無で変わります。
数字から読めること
所得1,200万円では、税負担は117万円減りますが、年金保険料が124万円増えるので、差し引きでマイナスです。「1,800万円より下で法人化しても、社会保険料で税の差が消える」というのは、この数字のことです。
所得1,800万円で、ようやく113万円のプラス。
2,500万円で、263万円のプラス。
ここまでが、競合の記事にも書いてある(はずの)話です。
ただ、私の体感では、この表をここで閉じてしまう院長が一番危ない。次の章が本題です。
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4. 差額のうち、今年あなたの手元に入るのはいくらか?
結論から書きます。所得1,800万円のモデルで法人化すると、可処分合計は113万円増えますが、院長個人の手取りは1,206万円から898万円へ、308万円減ります。増えた113万円どころか、それ以上の金額が「法人の中」に移るからです。
もう一度、表の数字を並べます。
個人のまま:院長の手取り 1,206万円。
法人化後:理事長の手取り 898万円、法人に残る利益 421万円。
合計では法人が113万円多い。
でも、今年、あなたが自由に使えるお金は308万円減る。
法人に残った421万円は、院長の口座ではなく医院の口座にあります。そして第2章で書いたとおり、持分なし医療法人では、このお金は配当できず、解散しても戻ってきません。取り出す方法は、役員報酬を上げるか、退職金として受け取るか。報酬を上げれば今度は個人の税率が上がり、法人化の差額は縮みます。
言葉を選ばずに書きます。
法人化の「節税効果」の大半は、税金が消えたのではなく、お金の置き場所が変わっただけです。その置き場所は、医院の設備投資と分院と退職金には使えるが、家族の生活費と住宅ローンには使えない。
これが悪いと言っているのではありません。分院を出す予定の院長にとって、法人に421万円が低い税率で貯まっていくのは、理想的な資金調達です。銀行も、法人に内部留保が積み上がる決算書を好みます。医療法人の決算書の見られ方は、医療法人・歯科クリニックの財務の記事で書いています。
問題は、「手取りが増える」と思って法人化した院長が、初年度の給与明細を見て驚くことです。私は、法人化して1年目の院長から「先生、生活費が足りないんですが、法人のお金を使っていいですか」という相談を、形を変えて何度も受けてきました。法人のお金を生活費に使えば、それは理事長への貸付金になり、決算書に載り、銀行の評価を下げます。
法人化の試算で見るべきは「合計でいくら得か」ではなく、「今年の生活費は足りるか」と「法人に残る分を何年後に何で取り出すか」の2つです。
役員報酬をいくらに設定するかで、この2つの答えは大きく動きます。モデル計算では1,200万円に置きましたが、住宅ローンの返済額、子どもの教育費、配偶者を理事にして報酬を分けるかどうかで、最適な金額は医院ごとに違います。報酬設計の勘所は、正直、記事に書ける範囲を超えます。個別のご相談で、あなたの生活費と法人の資金計画を並べて決めています。
5. 何のために法人化するのか——目的で答えはどう変わるのか?
結論から書きます。法人化の目的は「節税」「分院」「承継」「銀行」の4つに分かれ、目的が違えば、法人化すべき時期も、役員報酬の置き方も、決算月の選び方も全部変わります。目的を決めずに法人化すると、4つのどれにも最適化されない中途半端な法人ができあがります。
私が社会医療法人の監事として、また複数の経営会議に外部の立場で出ていて思うのは、うまくいっている法人は「何のために法人にしたか」を理事長が一言で言えるということです。逆に、目的が言えない法人は、役員報酬の額も、貯まったお金の使い道も、毎年その場しのぎになります。
目的①:節税——所得2,000万円以上で、かつ「出口」を決められる院長向け
第3章の試算どおり、純粋な税負担の差は所得2,000万円前後から大きくなります。ただし第4章で書いたとおり、その差額は法人に貯まる。節税を目的にするなら、「退職金でいつ・いくら取り出すか」を法人化の前に決めることが条件です。出口がないまま「節税のため」に法人化すると、手取りが減って、法人に使い道のないお金が貯まるだけになります。
目的②:分院——時期は「分院の2〜3年前」。所得は関係ない
分院を出すには医療法人が必要で、設立には半年から1年かかります。しかも設立直後の法人には決算書が1期分もないので、銀行は分院の融資審査で個人時代の確定申告書を見ることになります。分院を出したい時期から逆算して、法人として2期分の決算を積んでおく。これが分院目的の法人化の時期です。このケースでは、所得が1,500万円でも法人化が正解になることがあります。
目的③:承継——子が歯科医師なら早め、そうでないなら「法人化しない」も選択肢
後継者の子が歯科医師で、医院を継ぐ意思がある。この場合、持分なし医療法人は承継に向いています。相続税評価の問題がなく、理事長の交代で法人がそのまま続く。後継者が勤務医として法人に入り、報酬を受け取りながら引き継ぐ形も組めます。
一方、後継者がいない、あるいは第三者への譲渡を考えている場合。持分なし医療法人の譲渡は、株式会社の売買のような「持分の売却」ができないため、理事・社員の交代という形を取ることになります。個人の医院を事業譲渡するほうが単純な場合もある。承継の相手が見えていない段階での法人化は、選択肢を狭める可能性があります。2代目の承継で数字がどう動くかは、事業承継で2代目がやるべき財務のことで書いています。
目的④:銀行——「法人の決算書」が必要になったとき
個人の確定申告書は、生活費と医院の数字が混ざって見えます。法人の決算書は、医院の数字だけが独立します。大型の設備投資や移転の融資で、銀行から「法人化の予定はありますか」と聞かれたら、それは「法人の決算書で審査したい」という意味です。この目的なら、融資の申し込みから逆算して、少なくとも1期分の法人決算を先に作っておく必要があります。
4つの目的を見て、気づいてほしいことがあります。
「所得1,800万円」が判断基準になるのは、4つのうち目的①だけです。残り3つは、所得ではなく「いつ何をしたいか」で時期が決まります。顧問から「1,800万円を超えたから」とだけ言われているなら、目的の話をしていない証拠です。
6. 法人化してはいけない歯科医院とは?
結論から書きます。所得1,500万円未満で分院も承継も予定がない医院、生活費が手取りの上限近くまで必要な院長、そして「貯まったお金は最後は自分のもの」と思っている院長は、法人化しないほうがいい。正直に書きます。私の事務所では、法人化の相談で「やめましょう」とお伝えすることが珍しくありません。
❌ 法人化で多くの院長が失敗するパターン
その1:税率の差だけ見て、社会保険料を計算に入れない。所得1,200万円のモデルでは、税負担は117万円減るのに年金保険料が124万円増えて、差し引きマイナスです。スタッフが5人以上いて既に厚生年金に入っている医院なら影響は院長分だけですが、5人未満で未加入だった医院は、スタッフ全員分の法人負担が一気に乗ります。スタッフ6名・平均月給25万円なら、厚生年金の法人負担分だけで年160万円を超える新たな固定費です。
その2:役員報酬を低く設定しすぎて、生活費を法人から借りる。「法人に残すほど税率が低い」は正しいのですが、報酬を絞りすぎると生活費が足りなくなり、法人の口座から引き出す。これは理事長への貸付金として決算書に載り、銀行から「公私混同」と見られます。分院の融資を受ける前に、自分で決算書に傷をつける形です。
その3:持分なしの意味を知らずに、「最後は自分のもの」と思って貯める。持分なし医療法人に貯まった財産は、配当できず、解散しても戻ってきません。取り出す道は報酬と退職金だけです。閉院を考え始めた60代で初めてこの構造を知る院長を、私は見てきました。法人化の前に、70歳時点での退職金の受け取り額まで一度は試算しておくべきです。
その4:設立の時期を決算月から逆算せず、中途半端な初年度を作る。医療法人の設立認可は都道府県の受付が年2回程度に限られます。認可の時期と決算月がかみ合わないと、初年度が3か月しかない決算になり、法人としての実績が銀行に伝わりにくくなります。
もう一つ、数字に出ないところを書きます。
法人化すると、院長は「経営者」から「理事長」になります。社員総会、理事会、事業報告書の都道府県への届出、役員の任期管理。個人のときにはなかった手続きが毎年発生します。これを面倒と感じる院長にとって、法人は負担です。手続きを引き受ける税理士・事務方がいない状態で法人化すると、診療の時間が削られます。法人化の相談のとき、私は必ず「誰がこの事務をやりますか」と聞きます。
法人化は、戻れないわけではありませんが、戻るのは大変です。医療法人の解散には都道府県の認可が要り、残余財産は院長に戻らない。だから、入口で慎重になる価値があります。
7. 法人化を決めたら、いつから逆算して動くのか?
結論から書きます。法人診療の開始日から逆算して、最低でも1年前に着手し、決算月は「設立認可の時期」と「繁忙期」と「納税資金の時期」の3つを見て決めます。設立認可の受付が年2回程度しかない以上、「思い立ったらすぐ」は物理的にできません。
大きな流れ(都道府県により時期は異なります)
- 12〜15か月前:有利判定の試算、目的の確定、役員報酬と退職金の出口設計。設立時の資産(医療機器・内装・預金)を何を拠出するか決める
- 10〜12か月前:都道府県の設立説明会・事前相談。定款案、設立趣意書、財産目録、2年分の事業計画・予算書の作成
- 6〜9か月前:設立認可申請書の提出(受付期間に合わせる)。医療審議会の審査
- 2〜4か月前:設立認可→設立登記。診療所の開設許可申請、保険医療機関の指定申請
- 開始日:個人の診療所を廃止し、法人の診療所として診療開始。保険診療の指定に空白が出ないよう、日付を合わせる
- 開始後:個人の廃業届・所得税の確定申告(開始日までの分)。法人の届出一式。厚生年金・健康保険の適用手続き
決算月の決め方
医療法人の決算月は自由に決められます。私が勧めているのは、次の3つを見ることです。
一つ目。設立認可の時期との整合。初年度が3か月で終わる決算は避け、初年度を10か月以上にできる決算月を選ぶ。
二つ目。繁忙期を外す。決算の2か月後が申告期限です。その時期に院長が数字を見る時間を確保できるか。
三つ目。納税資金の時期。法人税の納付は決算の2か月後、その後は中間納付が半年後に来ます。個人時代の所得税(3月)・予定納税(7月・11月)・住民税(6月以降)と、法人初年度はこれらが重なります。法人化した年は、個人の最後の所得税と法人の初年度の税金が同じ12か月の中に来ることを、資金繰り表に先に書いておいてください。
スケジュールの細かい書類名や、設立時の拠出資産の選び方には、技術が要ります。ここは記事に書くより、個別の状況を見てお伝えしたほうが正確なので、無料相談の中でお話ししています。
8. よくあるご質問(FAQ)
Q1. 所得1,800万円を超えていなくても、法人化したほうがいい場合はありますか?
あります。分院を2〜3年内に出す予定がある医院、後継者の子が歯科医師で承継の道筋が見えている医院、大型の融資で銀行から法人の決算書を求められている医院は、所得が1,500万円前後でも法人化が合理的なことがあります。逆に、所得が2,000万円を超えていても、生活費の必要額が高く役員報酬を下げられない院長は、法人化の効果が薄くなります。所得の目安は試算を始める合図であって、判断基準そのものではありません。
Q2. 法人化すると、スタッフの社会保険料はどのくらい増えますか?
医療法人は人数にかかわらず厚生年金・健康保険の強制適用事業所になります。すでに従業員5人以上で厚生年金に加入している医院なら、増えるのは院長本人分が中心です。5人未満で未加入だった医院は、スタッフ全員分の法人負担が新たに発生します。厚生年金の法人負担は給与の9.15%(保険料率18.3%の半分)なので、スタッフ6名・平均月給25万円なら、年金分だけで年約165万円の固定費増です。健康保険を協会けんぽにするか歯科医師国保を継続するかでも変わるため、法人化前に全員分を試算しておく必要があります。
Q3. 持分なし医療法人に貯まったお金は、本当に自分のものにならないのですか?
法人の財産は法人のものであり、持分なし医療法人では配当もできず、解散時の残余財産も出資者には戻らず国や地方公共団体等に帰属します(厚生労働省「『持分なし医療法人』への移行に関する手引書」令和8年3月改訂)。理事長が受け取れるのは、役員報酬と、適正額の範囲での役員退職金です。したがって法人化の際には、「何年後に、いくらの退職金で取り出すか」を先に設計しておく必要があります。設計なしに貯めると、使い道のないお金が法人に残ります。
Q4. 医療法人ではなく、MS法人(メディカルサービス法人)を作る方法はどうですか?
MS法人は株式会社や合同会社として設立する一般の法人で、医療行為はできず、診療所の不動産管理や物品販売、事務受託などを担います。個人の歯科医院のまま、一部の業務をMS法人に移す形です。ただし、医院とMS法人の取引価格が適正でないと税務上否認されるリスクがあり、医療法上の非営利性との関係でも都道府県の見方が厳しくなっています。医療法人化の代替というより、医療法人と組み合わせて使う制度と考えたほうが安全です。使えるケースと危ないケースは、個別の事情で分かれます。
Q5. 大阪の事務所のようですが、他府県の歯科医院でも相談できますか?
できます。当事務所は大阪市淀川区(新大阪駅の徒歩圏)ですが、オンラインで全国対応しています。医療法人の設立認可は都道府県ごとに受付時期や提出書類が異なりますが、有利判定の試算・役員報酬と退職金の設計・決算月の決め方は全国共通です。直近の確定申告書(決算書付き)を事前に共有いただければ、初回の45分で、あなたの数字での個人・法人の比較結果と、法人化するならいつかの見立てまで具体的にお伝えします。
9. まとめ|目安で決めるか、自分の数字で決めるか
「所得1,800万円」は、所得税率が40%に上がる境目という制度上の根拠を持った数字です。
ただし、それは試算を始める合図であって、法人化の答えではありません。
法人化で変わるのは、税率・社会保険料・退職金・赤字の扱い・承継・分院・交際費の7つ。
2026年税制のモデル計算では、所得1,200万円で年7万円のマイナス、1,800万円で113万円のプラス、2,500万円で263万円のプラス。
そして、そのプラスの大半は「法人の中に残るお金」であり、所得1,800万円のモデルでは、院長の今年の手取りは308万円減ります。持分なし医療法人では、そのお金は報酬と退職金でしか取り出せません。
だから、法人化の判断は「いくら得か」ではなく、「何のために法人にするのか」「今年の生活費は足りるか」「貯まった分を何年後に何で取り出すか」の3つで決めるべきです。
今日できる小さな行動を一つ。
直近の確定申告書を開き、「所得金額」と、あなたの家計が1年に必要とする金額を、並べて書き出してみてください。その差が、法人に残せる金額の上限です。そこが300万円を切るなら、法人化を急ぐ理由は、今のところありません。
来年も、顧問から「そろそろ法人化を」と言われるたびに、根拠のない目安と自分の感覚の間で判断を先送りするのか。それとも、自分の医院の数字で個人と法人を並べ、「する・しない・いつするか」を自分の言葉で決められる院長になるのか。分かれ目は、確定申告書を開いて数字を並べる、その一手から始まっています。
あなたの数字で、個人と医療法人の有利判定を一緒に出しませんか
当事務所には、歯科医院向けの個人・医療法人の有利判定シミュレーションシートがあります。直近の確定申告書(決算書付き)があれば、45分の無料相談で、所得・自費率・スタッフ数・家族構成・借入を入れた比較結果と、法人化するならいつが最適かの見立てまで、その場でお伝えします。試算の結果「今はしないほうがいい」とお伝えすることも普通にあります。
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役員報酬と退職金の出口設計、法人に残す資金の使い道、分院の資金調達、銀行に見せる法人決算書の作り方、そして月次の資金繰り運用——法人化のあとに続くお金の意思決定を、税理士業務の枠を超えて一気通貫で伴走するのが Luxe Partners です。法人化を一度の手続きで終わりにせず、医院の数字が毎年「次の一手」を指し示す状態になるところまで、社外CFOとして毎月の経営会議で並走します。
この記事を書いた人
稲田光浩(いなだ みつひろ)
税理士/稲田光浩税理士事務所 代表
年商1〜10億の成長企業オーナー専門・認定経営革新等支援機関・freee認定アドバイザー
- 顧問先:成長期の中小企業・スタートアップ・医療歯科・飲食等
- CFO顧問の伴走実績あり、新規CFO顧問の受付を再開しています
- 監査役:東京プロマーケット 上場準備中の企業 1社
- 監事:社会医療法人 1法人
- 経営会議・取締役会への参加経験:複数社
- プロジェクト型支援領域:経営ダッシュボード設計・構築/経営計画策定/資金調達伴走/経理業務フロー改善/AI活用設計
〒532-0011 大阪市淀川区西中島4-2-21 ミツフ新御堂筋ビル605


