材料が上がり、電気代が上がり、今年の春は給料も上げた。
それなのに、主要取引先への納入単価は3年前から1円も動いていない。
「そろそろ値上げをお願いしないと」と思いながら、購買担当の顔を思い浮かべて、今月も言い出せなかった。
それで「製造業 価格転嫁 交渉」と検索していないでしょうか。
結論から書きます。
価格転嫁の交渉が通らない最大の理由は、交渉力でも取引先の冷たさでもなく、「いくら上がったのか」を自社の数字で示す資料がないことです。
根拠の数字がなければ、値上げの話は「お願い」になります。
お願いは、断られます。
そしてもう一つ、この記事でいちばん伝えたいことを先に書きます。
その根拠資料は、銀行に融資をお願いするときに見せる原価資料と、同じものでよい。別々に作る必要はありません。一枚の資料が、取引先にも銀行にも効く。製造業の社長が最も時間を割くべき「数字の仕事」は、実はここに集約されます。
申し遅れました。私は大阪で税理士事務所を営む稲田光浩です。税理士業界19年、東京プロマーケット上場準備中の企業の監査役、社会医療法人の監事を務め、複数社の経営会議・取締役会に外部の立場で参加しています。製造業の顧問先では、価格交渉の結果報告を経営会議の席で聞く側にいます。通る会社と通らない会社の差を、数字の側から何度も見てきました。
この記事では、2026年1月に施行された取適法(下請法の改正)で交渉の土台がどう変わったか、原価上昇の証明資料をどう作るか、値上げ1%が社員の給料にどれだけ効くか、そして交渉をいつ・どう切り出すかまで、現場の目線で正直に書きます。
「うちは、いくら上がったのか」を数字で言えない状態なら
直近2期の決算書と、主要製品の売上・仕入の資料があれば、45分の無料相談で「どのコストが、いつから、どれだけ上がったか」の骨格を一緒に確認します。取引先との交渉を控えているなら、根拠資料に何を載せるべきかの見立てまでその場でお伝えします。強引な勧誘はしません。
Webで無料相談する →
電話:06-7777-1762
LINEで相談 →
大阪市淀川区・オンライン全国対応/強引な勧誘はありません
1. なぜ製造業の価格転嫁交渉は、「お願い」で終わってしまうのか?
結論から書きます。交渉の席に着く前に、「どのコストが、いつから、いくら上がったか」を一枚で示せる会社だけが、値上げを「要請」として扱ってもらえるからです。それがない会社の値上げは、どれだけ切実でも、相手の側では「お願い」として処理されます。
まず、今の製造業がどういう場所に立っているのかを、数字で確認しておきます。
中小企業庁の価格交渉促進月間(2026年3月)フォローアップ調査(2026年6月26日公表)によると、コスト上昇分のうち価格転嫁できた割合は平均54.2%。費目別に見ると、原材料費55.7%、労務費50.0%、エネルギー費48.9%です。
半分、です。
上がったコストの半分は、取引先に転嫁できず、自社が飲み込んでいる。しかも、社員の給料の原資そのものである労務費は、ちょうど5割。電気代に至っては5割を切ります。同じ調査で「価格交渉が行われた」企業の割合は90.7%まで上がっていますから、交渉の席にはほぼ全員が着けるようになった。それでも通るのは半分。これが2026年の現実です。
交渉力の差ではなく、「稟議が書けるか」の差
では、席に着いた後で何が分かれるのか。
私が経営会議で価格交渉の報告を聞いていて、通る会社と通らない会社の差は、ほぼ一点に集約されます。先方の購買担当が、社内で「値上げを受け入れる稟議」を書けるかどうかです。
想像してみてください。取引先の購買担当も、会社員です。あなたの会社の値上げを受け入れるには、上司に説明し、稟議を通さなければならない。そのとき「材料が上がって苦しいそうです」では、稟議は書けません。「○○社の主要材料は2024年比で18%上昇、電力単価は22%上昇、原価合計で7.3%の上昇が確認できる。要請単価は4%」と書ければ、通る確率は上がります。
つまり、あなたが作るべき資料は、相手の担当者が社内を通すための資料でもある。ここを勘違いして「うちの苦しさを分かってもらう資料」を作ると、交渉は感情のやりとりになって終わります。
値上げ交渉は、交渉の席で決まるのではなく、席に着く前の原価資料で8割決まっている。これは、経験上、間違いないと思っています。
決算書の数字は「結果」であって「根拠」ではない
正直に書きます。値上げの根拠資料として、全社の売上総利益率が前年より下がったグラフを持っていく会社は、本当に多い。決算書しか見ていない税理士が作ると、たいていこの形になります。
これは、通りません。
取引先にとって、御社の全社の利益率は「自分たちには関係のない話」だからです。先方が知りたいのは、自分たちが買っている製品の原価が、どの費目で、どれだけ上がったか。全社の粗利率は、その問いに一つも答えていません。
決算書の数字は「結果」であって「根拠」ではない。根拠になるのは、製品別・費目別に分解した原価の変化です。決算書を作るだけの仕事では、ここには辿り着けません。私が「数字で売上を伸ばす」ほうに仕事の軸足を置いている理由の一つが、ここにあります。
2. 2026年施行の取適法(下請法改正)で、交渉の何が変わったのか?
結論から書きます。2026年1月1日に施行された中小受託取引適正化法(取適法)によって、対象取引では「発注側が価格の協議に応じず、一方的に代金を決めること」が禁止行為になりました。あなたが根拠を示して協議を求めたとき、相手は無視できない。これが、交渉の土台における最大の変化です。
ただし、法律は「武器」であって「魔法」ではありません。何ができて、何ができないのかを、一次情報に沿って正確に書きます。
下請法から取適法へ、何が変わったのか
公正取引委員会・中小企業庁の公表資料(公正取引委員会「2026年1月から下請法は取適法へ」リーフレット、中小企業庁ミラサポplus解説)によると、主な変更点は次のとおりです。
- 名称と用語の変更:法律名が「下請代金支払遅延等防止法」から「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」(略称:取適法)に。「親事業者」は「委託事業者」、「下請事業者」は「中小受託事業者」と呼び替えられました。「下請」という言葉そのものが、法律から消えています。
- 協議に応じない一方的な代金決定の禁止:中小受託事業者から価格協議の求めがあったにもかかわらず、委託事業者が協議に応じなかったり、必要な説明を行わなかったりするなど、一方的に代金を決定することが禁止行為として追加されました。
- 手形払い等の禁止:代金の支払手段として約束手形を用いることが禁止され、電子記録債権やファクタリングについても、支払期日までに代金全額を現金化できないものは禁止されました。
- 適用範囲の拡大:従来の資本金基準に加えて、従業員数基準(製造委託等は300人、役務提供委託等は100人が目安)が追加され、資本金を小さくして法の適用を逃れる取引にも網がかかるようになりました。また、荷主から運送事業者への委託(特定運送委託)が新たに対象取引に加わっています。
- 面的執行の強化:公正取引委員会・中小企業庁に加えて、事業を所管する主務大臣にも指導・助言の権限が付与され、複数省庁が連携して違反行為に対応する体制になりました。
この中で、価格転嫁にいちばん直結するのは2つ目です。
「協議に応じる義務」が意味すること
言葉を選ばずに書きます。以前は、値上げの申し入れを「検討します」と言ったまま半年放置されても、打つ手がほとんどありませんでした。取適法の施行後、対象取引では、申し入れに対して実質的な協議を行わず、説明もせずに価格を据え置く行為そのものが、法律上の問題になり得ます。
ここで大事なのは、「実質的な協議」という言葉です。形だけ話を聞いて「今回は難しい」で終わらせるのは協議とは言えない、という建付けになっています。逆に言えば、発注側が協議に応じるためには、あなたの側から「何が・いくら上がったのか」という協議の材料を出す必要がある。根拠資料なしに「上げてください」とだけ言っても、協議は始まりません。
法律は、根拠を持って申し入れた会社を守る方向に動きました。根拠を持たない会社を自動的に救う仕組みではない。ここは冷静に押さえておくべき点です。
労務費の転嫁には、もう一つの指針がある
取適法と並んで、2023年11月に内閣官房・公正取引委員会が公表した「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」(いわゆる労務費転嫁指針)も、交渉の場で引用できる一次情報です。発注側に対して、労務費上昇分の転嫁を受け入れる社内体制の整備や、受注側からの申し入れに誠実に応じることなどを求めています。
中小企業庁の2026年3月調査で、労務費の転嫁率は50.0%でした。材料費より通りにくいのは「人件費は御社の経営判断でしょう」と切り返されやすいからです。指針は、その切り返しに対する公的な反論材料になります。ただし、指針も「根拠の提示」を前提にしています。最低賃金の改定率や、自社の賃上げ率を数字で示せる会社だけが、指針を武器として使える。やはり、資料です。
ここで多くの社長が誤解すること
「取適法ができたから、公取委に言えば値上げしてもらえる」——これは誤解です。
法律が禁止しているのは「協議に応じないこと」「一方的に決めること」であって、「値上げを受け入れないこと」ではありません。協議の結果、据え置きになることは当然あり得ます。また、法の適用には資本金・従業員数・取引類型の要件があり、すべての取引が対象になるわけではありません。御社の取引が対象かどうかは、公正取引委員会や中小企業庁の相談窓口、下請かけこみ寺などで個別に確認するのが確実です。
私は経営会議で「法律を盾にする」発言を何度か聞きましたが、そのたびにお伝えしているのは、法律は最後の一枚であって、最初の一枚は原価資料だということです。法律を持ち出した瞬間に、取引関係は「協力関係」から「対立関係」に変わります。長く付き合う取引先ほど、その切り札は抜かずに済ませたい。抜かずに済ませるために、資料を作る。順番はこうです。
3. 原価上昇の証明資料は、どう作ればいいのか?
結論から書きます。原価上昇の証明資料の核は、「製品(または製品群)ごとに、材料費・労務費・エネルギー費・その他の4つに原価を分解し、基準時点と現在を並べて、上昇額と上昇率を出す」という一枚です。難しい原価計算システムは要りません。ただし、分解の仕方にはいくつかの勘所があります。
面談でいちばん多く聞かれる質問が、まさにこれです。「資料を作れと言われても、何から手をつければいいのか」。順に書きます。
骨格は「4費目×2時点」
まず、基準時点を決めます。多くの場合、現在の単価が決まった時点(最後に価格改定した時期、または取引開始時)が基準になります。「2023年4月の見積時点」のように、相手と共有できる時点を選ぶのが重要です。
次に、対象製品の1個あたり(または1ロットあたり)の原価を、次の4つに分けます。
- 材料費:主要材料の仕入単価×使用量。鋼材・樹脂・副資材など、品目別に仕入先の単価改定通知を控えておく
- 労務費:1個あたりの加工時間×時間あたり人件費。人件費は基本給だけでなく、法定福利費(社会保険料の会社負担分)まで含める
- エネルギー費:電力・ガス・燃料。機械の稼働時間に応じて製品に配分する。電力会社の請求書の単価推移が証拠になる
- その他:物流費、外注費、消耗工具、梱包材など。上昇が大きいものは独立させる
この4費目について、基準時点と現在を並べ、差額と上昇率を出す。製品単位の原価が「いくらから、いくらになったか」が一枚で見える。これが骨格です。
労務費は「時間あたり」で示す
労務費で多い失敗は、「今年の昇給率は4%です」と全社の数字だけを出すことです。相手が知りたいのは、自分たちの製品にかかる労務費がいくら上がったか。
ですから、時間あたりの人件費(年間の人件費総額÷年間の総労働時間)を基準時点と現在で比較し、それに製品1個あたりの加工時間を掛ける。最低賃金の改定率(御社の所在地のもの)を添えると、「社会全体の賃上げに沿った上昇である」という説明の裏付けになります。自社の都合ではなく、構造の変化であることを示す。これが労務費を通す鍵だと、私は考えています。
エネルギー費は「単価×使用量」に分ける
電気代の上昇を「電気代が年間300万円増えました」と総額で出す会社が多いのですが、これも通りにくい。生産量が増えていれば電気代は増えて当たり前だからです。
単価(円/kWh)の推移と、製品1個あたりの使用量に分けて示す。単価の上昇は自社の努力ではどうにもならない外部要因であり、使用量の削減は自社の努力として別に示せる。この分け方ができると、「御社は努力しているのか」という定番の質問にも、数字で答えられます。
「自社の努力」を一行添える
原価の上昇だけを並べた資料は、相手から見ると「全部うちに回すつもりか」と映ります。私が資料に必ず入れるよう勧めているのは、自社で吸収した分と、それでも吸収できない分の内訳です。
たとえば、原価が7.3%上がったうち、工程改善と歩留まり改善で2.5%分を吸収し、残り4.8%分のうち4%の改定をお願いする——こう書けると、相手の稟議には「先方も努力済み」の一行が入ります。この一行があるかないかで、購買担当の社内での通しやすさは相当変わるはずです。
ここから先は、相談で
製品が多品種の場合の製品群のまとめ方、間接費の配分基準の置き方、基準時点の選び方で上昇率がどう変わるか——ここには技術が要るため、具体的な手順は記事には書きません。個別のご相談で、御社の製品構成と仕入の実態を見ながらお伝えしています。出し惜しみではなく、製品構成によって正解が変わるからです。
ただ、骨格だけでも自社で作ってみる価値は十分にあります。作ってみると、「儲かっていると思っていた製品が、実は原価割れしていた」という発見が、ほぼ必ず出てきます。これは現場で何度も見てきました。
📘 無料配布|「価格転嫁交渉の準備ガイド|原価上昇の証明資料テンプレート付き」
この記事で書いた「4費目×2時点」の原価分解ワークシート、交渉前に確認するチェック15項目、取適法を協力関係を壊さずに使う考え方をまとめたA4・8ページの準備ガイドを無料でお渡ししています。価格転嫁交渉の準備ガイドを開く(登録不要・無料・印刷可)。
LINEで受け取る →
フォームで受け取る →
電話:06-7777-1762
大阪市淀川区・オンライン全国対応/配布はどちらか一方からで結構です
4. 銀行に出す原価資料と、交渉に使う資料は同じでよいのか?
結論から書きます。同じでよい。むしろ同じであるべきです。取引先に見せる原価資料と、銀行に融資を申し込むときに見せる原価資料は、答えるべき問いが同じだからです。「この会社は、自分の儲けの構造を、数字で把握しているか」。
監査役として、お金の使い道を審査する側の席に座っていると、この感覚がよく分かります。審査する側が見ているのは、数字そのものよりも、数字を説明できる経営者かどうかです。
銀行は「返済ストーリーの審査」をしている
銀行融資は、決算書の数字だけの審査ではなく、「返済ストーリーの審査」です。この会社は、どうやって利益を出し、どうやって返していくのか。その物語に筋が通っているかを見ています。
製造業の場合、その物語の中心は原価です。材料費が上がったとき、この会社はどう対応したのか。転嫁できたのか、できなかったのか、できなかった分をどう吸収したのか。製品別に原価を分解した資料を出せる会社は、銀行から見て「利益の源泉を把握している会社」になります。逆に、「なんとなく利益が減った」としか言えない会社は、どれだけ売上が大きくても、返済ストーリーが描けません。
つまり、「4費目×2時点」で分解した原価資料は、取引先に出すのと同じ形のまま、銀行の面談で「原価上昇にどう対応しているか」の説明資料になる。価格交渉のために作った資料を、そのまま設備投資の融資相談の席に持っていく。私の体感では、製品別に原価が見えている資料を出せる会社は少数で、銀行の受け止めは総じて良い。
資料を二つに分けると、矛盾が生まれる
正直に書きます。銀行用と取引先用で資料を分けたがる社長は、一定数います。銀行には「順調です」と言いたいし、取引先には「苦しい」と言いたいからです。
これは、やめたほうがいい。
銀行は取引先の業界動向を見ていますし、取引先は御社の決算書を与信の過程で見ることがあります。二つの資料の数字が食い違えば、どちらからの信用も失う。一枚の資料で、取引先には「原価がこれだけ上がったので改定が必要」、銀行には「原価がこれだけ上がったが、改定交渉と改善でこう手当てしている」と、同じ数字から違う結論を語る。これが正しい形です。数字は一つ、語り方が二つ。
社長の脳の余白を、ここで作る
資料を一本化するもう一つの効果は、社長の時間です。
取引先との交渉、銀行との面談、社員への賞与の説明、設備投資の判断。製造業の社長が数字を求められる場面は多く、そのたびに別の資料を作っていたら、社長の脳の余白はなくなります。原価を製品別に分解した一枚を、月次で更新し続ける。これだけで、取引先・銀行・社員のどこから数字を求められても、同じ資料で答えられる状態になります。
この「月次で更新し続ける」仕組みは、私の事務所ではクラウド会計の月次データから組み立てています。手作業で毎月作り直すのは、現実的ではありません。仕組みに落とすところまで含めて、原価資料は「作る」ものではなく「回す」ものだと考えています。
5. 値上げ1%は、粗利と社員の給料にどれだけ効くのか?
結論から書きます。売価の値上げは、原価が変わらなければ、ほぼ全額が粗利になります。売上を1%伸ばすより、単価を1%上げるほうが、利益に対する効きは桁違いに大きい。この構造を数字で把握している社長は、驚くほど少ないというのが私の体感です。
モデル計算で確認します。以下はすべて「仮に」の数字です。
モデル計算:売上5億円・社員30名の製造業
仮に、年商5億円、売上総利益率25%(粗利1億2,500万円)、社員30名の製造業があるとします。
- 値上げ1%:売上は500万円増える。原価は変わらないので、粗利も約500万円増える。粗利率は25%から約25.7%へ
- 売上数量1%増:売上は500万円増えるが、原価も比例して375万円増える。粗利の増加は125万円
同じ「1%」でも、粗利への効きは4倍違います。
では、この500万円を社員の給料に回すとどうなるか。社員30名で割ると、1人あたり年間約16.7万円。月額にして約1.4万円の賃上げ原資です(社会保険料の会社負担分を考慮すれば、実際の手取りベースの原資はこれより小さくなります)。
値上げ3%なら、粗利は約1,500万円増え、1人あたり年間50万円。主要取引先に3%の改定を通せるかどうかが、社員一人ひとりの年収50万円の差になる。こう言い換えると、交渉の重みが変わって見えないでしょうか。
逆に、転嫁できないと何が起きるか
同じモデルで、原価が5%上がって、1円も転嫁できなかった場合を計算します。原価3億7,500万円の5%は1,875万円。粗利は1億2,500万円から1億625万円へ、粗利率は25%から21.3%に落ちます。
1,875万円。社員30名なら、1人あたり62.5万円分の原資が、静かに消えています。
中小企業庁の2026年3月調査では、転嫁率の平均は54.2%でした。平均的な会社は、上がった原価の半分を飲み込んでいる。社員の給料を上げたいのに原資がない、という製造業の社長の悩みの正体は、多くの場合、ここにあります。節約でも、残業削減でもなく、転嫁できていない原価です。
この構造については、社員の給料を上げたいのに原資がない社長へのページで、儲け方の構造の側から書いています。
「1%の重み」を社内で共有する
このモデル計算を、営業担当や工場長と共有している会社は強い。これは経験上、間違いないと思っています。
営業担当が「1%くらいなら値引きしてもいいか」と考えるのは、1%の重みを知らないからです。1%が粗利500万円で、社員の年収16.7万円分だと知っていれば、値引きの判断は変わります。数字で売上を伸ばすとは、こういう共有から始まるのだと、私は考えています。
6. 交渉はいつ、どう切り出せばいいのか?
結論から書きます。タイミングは「相手の予算編成の前」と「自社のコスト改定が確定した直後」が原則。切り出し方は、「値上げしてほしい」ではなく「原価の変化について協議の場をいただきたい」です。言葉の選び方一つで、相手の受け止めが「要求」から「協議」に変わります。
タイミング①:相手の予算が決まる前
取引先の購買担当は、来期の調達予算を組んでから値上げを言われるのをいちばん嫌います。予算に入っていない値上げは、担当者が社内で説明しにくいからです。逆に、予算編成の2〜3ヶ月前に「来期、原価の改定をお願いしたい」と伝えておけば、担当者は予算に織り込めます。
相手の決算期を知っていますか。3月決算の取引先なら、予算編成は12月から1月。そこから逆算すると、10月には一度話をしておきたい。交渉は、相手のカレンダーで動くものです。
タイミング②:自社のコスト改定が確定した直後
仕入先からの値上げ通知、電力会社の単価改定、4月の昇給確定。これらの「確定した事実」が出た直後は、資料の説得力がいちばん高い。「上がりそうです」では協議になりませんが、「○月○日付で仕入単価が○%上がりました」なら、協議の材料になります。
国の価格交渉促進月間(毎年3月と9月)も、一つのきっかけです。この時期は発注側の会社も「協議に応じる姿勢」を問われているため、申し入れが受け止められやすい。ただし、月間だから通るわけではなく、資料があって初めて月間が活きます。
切り出し方:「お願い」ではなく「協議の申し入れ」
私がお勧めしているのは、書面で協議を申し入れることです。口頭で「そろそろ上げてほしいんですけど」は、相手の側で記録に残らず、社内に上がりません。書面であれば、担当者はそれを添えて上司に相談できますし、取適法の建付けでも「協議の求めがあった」事実が残ります。
書面の骨格は3つです。基準時点からの原価の変化(材料費・労務費・エネルギー費・その他の4費目で分解したもの)、自社で吸収した努力、改定のお願いと協議の場の依頼。ここに感情的な表現は要りません。「厳しい」「限界です」という言葉は、相手の稟議には一行も載りません。数字だけが載ります。
具体的な文面や、相手の反論への切り返しの台本までは、記事には書きません。取引先との関係性によって正解が変わりますし、読者の現在の顧問税理士がそれを見て同じことをすれば済む話でもないからです。個別のご相談で、御社の取引先の状況を聞きながらお伝えしています。
交渉は「1回」ではなく「関係」
経営会議で何度も見てきたのは、一度の交渉で満額を取ろうとして決裂し、関係まで傷つける会社です。
正直に書きます。初回で満額が通ることは、ほとんどありません。4%を要請して2%で妥結し、半年後に残りを再協議する。そういう進め方のほうが、結果として転嫁率は高くなります。協議の場を「定期的に持つ関係」に変えることが、単発の値上げより価値があります。原価資料を月次で更新し続けている会社は、この「次の協議」をいつでも申し入れられる。ここでも、資料を回す仕組みが効いてきます。
❌ ここで多くの社長が失敗するパターン
その1:根拠資料を持たずに、社長同士の関係で値上げを通そうとする。社長同士で「分かった」となっても、先方の購買部門に資料が下りてこなければ稟議は動きません。トップ同士の合意は入口にすぎず、通すのは担当者の稟議です。担当者が使える資料を、先に渡してください。
その2:全社の決算数字で「苦しい」を説明する。全社の粗利率の低下は、相手にとって「自社には関係のない話」。相手が買っている製品の原価が、どの費目でいくら上がったか。製品単位まで落とさない資料は、資料として扱われません。
その3:最初から取適法や公取委を持ち出す。法律を口にした瞬間、協力関係は対立関係に変わります。取適法は、根拠を示して協議を求めても無視され続けたときの、最後の一枚です。最初の一枚は原価資料。順番を間違えると、値上げは通っても次の発注が細ります。
その4:転嫁できなかった分を、社員の賞与で調整する。原価5%の上昇を1円も転嫁できずに賞与を削れば、辞めていくのは技能を持った中堅です。採用と教育のコストは、転嫁交渉に使う時間の何倍にもなります。賞与を削る前に、交渉の資料を作ってください。
7. 価格転嫁だけでは解決しない会社は、どんな会社か?
結論から書きます。原価を製品別に分解した結果、「転嫁しても赤字の製品」「転嫁以前に利益構造が壊れている得意先」が見えてくる会社は、価格転嫁だけでは解決しません。転嫁は、儲け方の構造を直す一手であって、構造そのものではないからです。正直に書きます。
転嫁が通っても利益が残らない3つの型
私が経営会議で見てきた中で、値上げが通ったのに決算で利益が残らない会社には、共通の型があります。
- 製品ミックスの問題:転嫁できた製品は売上の2割で、残り8割は値上げできない製品。全社で見ると粗利率はほとんど動かない。どの製品で稼ぎ、どの製品を縮小するかの判断が先に要る
- 得意先集中の問題:売上の6割を占める1社に対しては、値上げを言い出せない。言えたとしても、その1社の機嫌で経営が左右される構造が変わらない。転嫁交渉と並行して、依存度を下げる方向の営業が要る
- 固定費の問題:原価は転嫁できても、工場の維持費・金利・間接部門の人件費が売上に対して重すぎる。粗利が増えても、固定費に吸われて営業利益が残らない。これは損益分岐点の話であって、価格の話ではない
この3つのどれかに当てはまる会社は、転嫁交渉を頑張っても、来年も同じ悩みを抱えます。原因は頑張り方ではなく、儲け方の構造にあるからです。
構造を見る場所は、原価資料の中にある
救いがあるとすれば、製品別に分解した原価資料が、そのまま構造を見る材料になることです。製品別に原価と粗利を並べた瞬間、「この製品は転嫁しても赤字」「この得意先は粗利率が一桁」という事実が、数字として出てきます。
見えてしまえば、打ち手は価格交渉だけではなくなります。赤字製品の受注を見直す、得意先の構成を変える、設備投資で加工時間を短縮する。転嫁交渉の資料を作る過程で、経営の構造が見える。私が「原価資料は作るものではなく回すもの」と言うのは、この副産物が大きいからです。
儲け方の構造そのものを作り直したい方には、2日間で商品・顧客・販売・事業・組織の5つの構造を点検する儲け方の設計ワークショップを、私が設計・進行しています。製造業・卸売業の2代目社長の方は、製造業・卸売業の税理士|大阪のページで、私が何を一緒にやるのかを書いています。
合わない社長も、正直に書きます
「交渉は社長のカンと人脈でやるもので、資料は税理士が勝手に作っておいてくれ」という方とは、たぶん噛み合いません。原価資料は、社長自身が製品と原価の関係を把握するためのものです。社長が中身を語れない資料を持っていっても、相手の最初の質問で止まります。
逆に、「自社の原価を一度ちゃんと分解して、取引先にも銀行にも同じ数字で語れるようになりたい」という社長とは、いい仕事ができると思っています。
8. よくあるご質問(FAQ)
Q1. 取引先が大企業ではなく、同じくらいの規模の会社です。取適法は使えますか?
取適法の適用には、委託事業者と中小受託事業者それぞれについて資本金または従業員数の要件があり、取引の類型(製造委託・修理委託・役務提供委託など)によって基準が異なります。同規模同士の取引では対象外となる場合もあります。御社の取引が対象かどうかは、公正取引委員会・中小企業庁の相談窓口や下請かけこみ寺で個別に確認するのが確実です。対象外であっても、原価の根拠資料を示して協議を申し入れる進め方そのものは、そのまま有効です。
Q2. 原価計算の仕組みがなく、製品別の原価が分かりません。それでも資料は作れますか?
作れます。精密な原価計算システムは必要ありません。主要製品を数品目に絞り、材料費は仕入単価×使用量、労務費は加工時間×時間あたり人件費、エネルギー費は稼働時間に応じた配分、という単純な分解から始めれば、交渉と銀行説明に使える水準の資料になります。製品が多品種の場合は、製品群にまとめて分解します。まとめ方には勘所があるため、ご相談の際に御社の製品構成を見ながらお伝えしています。
Q3. 値上げを言い出したら、発注を他社に切り替えられないか心配です。
その不安は、ほぼすべての製造業の社長が持っています。現実には、根拠資料を添えて協議を申し入れた会社が、それを理由に切られる例は、私の経験上ほとんどありません。切り替えには相手側にも金型・品質確認・立ち上げのコストがかかるからです。むしろ、根拠なく値上げを繰り返す会社や、品質・納期に問題のある会社のほうが切り替えの対象になります。不安を減らす最も確実な方法は、「自社努力で吸収した分」を資料に明記し、協力関係の姿勢を示すことです。
Q4. 労務費の値上げは「御社の経営判断でしょう」と断られます。どう説明すればいいですか?
労務費は、最低賃金の改定率や地域の賃金動向といった「社会全体の構造変化」に沿ったものであることを、数字で示すのが基本です。2023年11月に内閣官房・公正取引委員会が公表した労務費転嫁指針は、発注側に労務費上昇分の転嫁を受け入れる体制整備を求めており、交渉の場で引用できる公的資料です。ただし指針も根拠の提示を前提にしています。時間あたり人件費の推移と製品1個あたりの加工時間を示し、「自社都合の昇給」ではないことを数字で語れるかどうかが分かれ目です。
Q5. 大阪の事務所のようですが、他府県の製造業でも相談できますか?
できます。当事務所は大阪市淀川区ですが、オンラインで全国対応しています。原価資料の作り方や取適法の考え方は地域を問いません。直近2期の決算書と、主要製品の売上・仕入の資料を事前に共有いただければ、初回の45分で「どのコストが、いつから、どれだけ上がっているか」の骨格と、交渉用・銀行用の資料に何を載せるべきかの見立てまで具体的にお伝えします。
9. まとめ|一枚の原価資料が、取引先と銀行の両方を動かす
この記事で書いたことを、もう一度だけ並べます。
- コスト上昇分の転嫁率は平均54.2%、労務費は50.0%。何もしなければ、上がった原価の半分を自社が飲み込む
- 交渉が通らない最大の理由は交渉力ではなく、「どのコストが、いつから、いくら上がったか」を示す根拠資料がないこと。根拠なき値上げは「お願い」になる
- 2026年1月施行の取適法で、対象取引では「協議に応じない一方的な代金決定」が禁止された。ただし法律は最後の一枚であり、最初の一枚は原価資料
- 資料の骨格は「材料費・労務費・エネルギー費・その他」の4費目×「基準時点・現在」の2時点。自社で吸収した分を一行添える
- 銀行に見せる原価資料と、取引先に見せる資料は同じでよい。数字は一つ、語り方が二つ
- 値上げ1%は、粗利にほぼ全額乗る。売上5億円なら粗利500万円、社員30名なら1人あたり年16.7万円の給与原資(モデル計算)
- 転嫁しても利益が残らない会社は、儲け方の構造に原因がある。原価資料を作る過程で、その構造が見える
今日できる小さな行動を一つだけ。
主要製品を1つ選び、3年前の材料の仕入単価と、今の仕入単価を、仕入先の請求書で並べてみてください。上昇率が出た瞬間、「いくら上がったのか」の最初の一行ができます。
来年も、上がった原価の半分を飲み込みながら、社員の賞与をどう説明するか悩む春を迎えるのか。
それとも、一枚の原価資料を手に、取引先と銀行の両方に同じ数字で語れる社長になるのか。
分かれ道は、交渉の席ではなく、資料を作り始める今日にあります。
「どのコストが、いつから、いくら上がったか」を、一緒に一枚にしませんか
直近2期の決算書と、主要製品の売上・仕入の資料があれば、45分の無料相談で、原価上昇の骨格、交渉用と銀行用に同じ資料をどう使うか、値上げ幅の根拠の置き方まで、具体的にお話しします。交渉の予定がまだ先の会社ほど、打てる手は多くなります。
Webで無料相談する →
電話:06-7777-1762
LINEで相談 →
大阪市淀川区・オンライン全国対応/強引な勧誘はありません
💡 一度の交渉資料で終わらせず、原価と資金の全体を任せたいなら
Luxe Partners|年商1〜10億の成長企業向け 財務伴走パートナー
製品別・得意先別の原価と粗利の月次更新、値決めの根拠づくり、設備投資と運転資金の調達設計、そして賃上げ原資の見通し——製造業のお金まわりの意思決定を、税理士業務の枠を超えて一気通貫で伴走するのが Luxe Partners です。一度の価格交渉を乗り切って終わりにせず、取引先にも銀行にも同じ数字で語れる原価資料が毎月自動的に更新される状態まで、社外CFOとして経営会議で並走します。
この記事を書いた人
稲田光浩(いなだ みつひろ)
税理士/稲田光浩税理士事務所 代表
年商1〜10億の成長企業オーナー専門・認定経営革新等支援機関・freee認定アドバイザー
- 顧問先:成長期の中小企業・スタートアップ・医療歯科・飲食等
- CFO顧問の伴走実績あり、新規CFO顧問の受付を再開しています
- 監査役:東京プロマーケット 上場準備中の企業 1社
- 監事:社会医療法人 1法人
- 経営会議・取締役会への参加経験:複数社
- プロジェクト型支援領域:原価・値決めの根拠づくり/設備投資・運転資金の資金調達伴走/経営ダッシュボード設計/経理業務フロー改善/AI活用設計
〒532-0011 大阪市淀川区西中島4-2-21 ミツフ新御堂筋ビル605
あわせて読みたい
- 製造業・卸売業の税理士|大阪|2代目社長の”次のステージ”に数字で伴走する
- 社員の給料を上げたいのに原資がない社長へ
- 儲け方の設計ワークショップ|頑張っても利益が残らない構造を、2日間で作り直す
- 部門別収益の見える化|どんぶり経営から抜け出す最初の一歩
- 銀行に伝わる事業計画書の書き方|外せない5要素
- 銀行評価を下げる5つのNG|社長が知らずにやっていること
公開日:2026年8月23日/最終更新日:2026年8月23日
※取適法(中小受託取引適正化法)の内容は執筆時点の公正取引委員会・中小企業庁の公表資料に基づく一般的な説明です。個別取引への適用の有無は資本金・従業員数・取引類型により異なります。本文の試算はモデルケースであり、同様の結果を保証するものではありません。


