結論から書きます。見抜こうとすると負けます。
AIで作った声や顔を使った送金指示が、もう現実に起きています。これに対して「気をつけましょう」「怪しい電話は切りましょう」という対策は、ほとんど意味がありません。相手は、気をつけている人を騙せるところまで来ているからです。
必要なのは、見抜く力ではありません。本物だと思っても、振込が止まる仕組みです。
私は税理士として顧問先の経理を見ると同時に、上場準備企業の監査役、社会医療法人の監事として、お金が実際に動く承認の場に立ち会っています。その立場から、中小企業がいますぐ入れられるものだけを書きます。
まず、1つだけ確認してください
御社では、社長から電話一本で、経理担当者が1,000万円を振り込めますか。
答えが「振り込める」なら、この記事を最後まで読む価値があります。「振り込めない」なら、そのルールがいまも実際に守られているかだけ確かめてください。崩れるのは、たいてい運用のほうです。
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香港で実際に起きたこと
2024年1月、香港にある企業の財務担当者が、ビデオ会議に参加しました。画面には英国本社のCFOと、複数の同僚が映っていました。そこで機密扱いの送金を指示されます。
担当者は指示に従い、5つの口座へ15回に分けて、合計2億香港ドル——日本円でおよそ38億円を送金しました。
会議に出ていた全員が、AIで作られた偽物でした。
ここで注目してほしいのは、どうやって気づいたかです。担当者が見抜いたのではありません。後になって本社へ、いつものルートで問い合わせたときに発覚しました。そのときには、資金の大半がすでに移されていた。
つまり、この事件で唯一機能したのは「別のルートで確認する」という、ごく当たり前の手順でした。しかもそれが遅すぎた。
財務のプロが、ビデオ会議で複数人の顔を見て、15回も送金しています。「自分なら気づく」と思えるでしょうか。私は思えません。
これは海外の話ではありません
IPA(情報処理推進機構)が毎年出している「情報セキュリティ10大脅威」という資料があります。約250名の専門家が投票して決めるものです。
2026年版の組織向けランキングで、「AIの利用をめぐるサイバーリスク」が初めて選出され、いきなり3位に入りました。
そして10位に「ビジネスメール詐欺」。こちらは2018年の初選出から9年連続です。取引先になりすました偽の請求書、経営者になりすました送金指示。解説書では、ディープフェイクや生成AIを使った偽の電話も確認されていると書かれています。
9年間ずっとランキングに居座っている手口に、AIが乗ってきた。それが今の状況です。
もうひとつ。警察庁によれば、特殊詐欺に使われた電話番号の6割以上が国際電話番号です。令和5年7月以降に急増しました。「+1」から始まる番号だけを警戒しても意味がありません。番号は無限にあります。
「見抜く」が対策にならない理由
声も顔も、SNSやホームページに上がっている動画から作れます。会社案内の動画、セミナーの登壇、インタビュー記事に添えられた音声。素材は十分にあります。
では公開をやめればいいかというと、それも違う。発信を止めれば、商売のほうが細ります。
ここが大事なところです。入口を塞ぐのは無理なので、出口で止めるしかない。
偽物が電話をかけてくること自体は防げません。防げるのは、その電話でお金が出ていくことです。
いますぐ入れられる3つ
1. 別のルートで、折り返す
振込の指示、振込先口座の変更、請求書の金額変更。この3つが来たら、かかってきた電話にそのまま返事をしない。
いったん切って、こちらが元から持っている番号にかけ直します。メールの署名に書いてある番号ではありません。名刺や台帳に登録してある番号です。偽物は、自分が用意した連絡先に誘導してきます。
取引先の口座変更なら、相手の会社の代表番号にかけて、担当者を呼び出してもらう。手間に見えますが、2分で終わります。
2. 一人で送金を完了させない
金額の線を引いて、それを超える振込は必ず二人で承認する。ネットバンキングなら、作成者と承認者を別の人に設定できます。
「うちは人が少ないから無理」と言われることがあります。ただ、社長と経理担当の2人でも成立します。承認者を社長にすればいい。むしろ人が少ない会社ほど、一人に全部の権限が集まっていて危ない。
IPAの解説書も、対策として複数人の承認フローを挙げています。
3. 固定電話の国際電話を休止する
これは知らない方が多いはずです。海外と電話しない会社なら、固定電話の国際電話の発着信を無料で止められます。
窓口は「国際電話不取扱受付センター」。電話は0120-210-364、書面でも申し込めます。費用はかかりません。
特殊詐欺に使われる番号の6割以上が国際電話番号なら、そこを丸ごと閉じるのがいちばん速い。ただしIP電話は対象外の場合があるので、自社の回線がどれかは確認してください。
この3つは、やりがちです
❌ メールに書いてある番号にかけ直す……それは相手が用意した番号です。確認したことになりません
❌ 「社長案件だから」で手順を飛ばす……急がせるのは手口そのものです。急かされたら、むしろ一段遅くする
❌ ルールを作って終わりにする……規程はあるのに、実際は経理担当が一人で振り込んでいる。いちばん多いのがこれです
規程より、運用が先に壊れます
監査役・監事として承認の場に出ていて、繰り返し見てきたことがあります。
規程が間違っていて事故になることは、ほとんどありません。壊れるのは運用のほうです。
承認者が長期出張で不在だったので、今回だけ飛ばした。システムの承認者設定が、退職した人のままになっている。二人承認のはずが、片方のIDを共用している。決裁は後から回すことになっていて、実際には後から回っていない。
どれも、悪意があって起きたわけではありません。忙しかっただけです。
だから、仕組みを入れたあとに必要なのは、年に一度でいいので「いまも、そのとおりに動いているか」を外から見ることです。自社の人間だけで点検すると、「やっているはず」で終わります。
税務署や会計事務所を名乗る電話にも、同じ対応で構いません
最後に、自分たちの側の話も書いておきます。
税務署や金融機関、そして税理士事務所を名乗る電話も、詐欺に使われます。当事務所を名乗る電話が来る可能性もゼロではありません。
その場合も、やることは同じです。いったん切って、こちらが知っている番号にかけ直してください。
当事務所の番号は06-7777-1762です。折り返して確認していただいて、気を悪くすることは一切ありません。むしろそうしていただくほうが、お互いに安全です。
なお、税務署が電話やメールで、特定の口座への振込を求めてくることはありません。還付金の案内を装って口座を聞き出す手口は、以前からあります。
まとめ
- AIで作った声と顔での送金指示は、すでに現実に起きている。香港では約38億円が動いた
- 見抜くのは無理。財務のプロがビデオ会議で15回送金している
- 止められるのは出口だけ。①別ルートで折り返す ②一人で送金を完了させない ③国際電話を休止する
- 規程より運用が先に壊れる。入れたあと、動いているかを外から点検する
- 当事務所を名乗る電話も、折り返して確認してください
「うちの経理、一人に任せきりかもしれない」と思ったら
承認フローの見直しは、セキュリティの話であると同時に、経理体制の話です。誰が何を承認しているか、ネットバンキングの権限が誰に付いているか。この2つを整理するだけで、不正とミスの両方が減ります。
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よくある質問
社長の声でかかってきた電話が本物か、聞き分ける方法はありますか
確実な方法はありません。香港で2024年に起きた事件では、財務担当者がビデオ会議でCFOと複数の同僚の姿を見たうえで、15回にわたり合計約38億円を送金しています。聞き分けることを前提にせず、電話をいったん切って、こちらが元から持っている番号にかけ直す運用にしてください。
従業員が数人の会社でも、二人承認はできますか
できます。社長と経理担当の2人でも成立します。ネットバンキングは作成者と承認者を別のIDに設定できるため、一定金額を超える振込は社長が承認する形にしてください。人数が少ない会社ほど一人に権限が集中しやすく、むしろ必要性が高くなります。
国際電話の利用休止は、どこに申し込みますか
「国際電話不取扱受付センター」が窓口です。電話は0120-210-364、書面での申し込みもできます。費用はかかりません。海外との通話が不要な固定電話であれば、発着信を止められます。ただしIP電話は対象外の場合があるため、契約している回線の種類をご確認ください。
取引先から振込先口座の変更連絡が来たとき、何を確認すればよいですか
連絡してきた手段とは別のルートで確認します。メールの署名や、その連絡に書かれた番号ではなく、名刺や取引先台帳に登録してある代表番号にかけ、担当者を呼び出して確認してください。変更の理由と時期を口頭で確認し、確認した日時と相手の氏名を記録に残しておくと、後から経緯をたどれます。
AIを使った詐欺は、公的な資料でも注意喚起されていますか
されています。IPA(情報処理推進機構)の「情報セキュリティ10大脅威 2026」組織編では、「AIの利用をめぐるサイバーリスク」が初めて選出され3位に、「ビジネスメール詐欺」が10位に入っています。ビジネスメール詐欺は2018年の初選出から9年連続です。
お金が出ていく経路を、毎月見ておきたい方へ
誰がいくらを承認し、どこへ出ていったか。月次でそこまで見続けていれば、おかしな動きはその月のうちに気づけます。資金の流れを毎月一緒に見る体制については、Luxe Partners でご案内しています。
監修:稲田 光浩(税理士)
稲田光浩税理士事務所 代表。近畿税理士会所属・税理士登録番号135413。認定経営革新等支援機関。
2007年から会計事務所に勤務し、2021年10月に大阪・西中島で独立。決算書を作る側であると同時に、東京プロマーケット上場準備企業の監査役、社会医療法人の監事として、出てきた数字を見て判断する側の席にも座っています。監査役としては監査計画の策定から監査報告書の作成まで実際に行い、取締役会と経営会議の両方に出席しています。
稲田光浩税理士事務所/〒532-0011 大阪府大阪市淀川区西中島4-2-21 ミツフ新御堂筋ビル605/TEL 06-7777-1762(平日9:00-20:00・土日祝対応可)
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出典:IPA「情報セキュリティ10大脅威 2026」(情報処理推進機構)/警察庁「みんなでとめよう!!国際電話詐欺」(警察庁)/香港の事例は報道による(CNN.co.jp)。制度・窓口の内容は変わることがあるため、申し込みの際は各公式サイトでご確認ください。


